FEATURE 01

独占インタビュー

野口啓代 だからクライミングは面白い

やればやるだけ。あの感覚に出逢って

何歳になっても、世界の頂点に立っても、“あの感覚”は変わらないそうだ。ボルダリング・ワールドカップで年間総合優勝4回を数える野口啓代選手。日本が誇る女性クライマーのパイオニアに、その「人生を変えてくれた」というクライミングの無限大な魅力を聞きました。

※本記事の内容は2016年8月発行『CLIMBERS #001』掲載当時のものです(インタビュー収録日:2016年7月5日)。
 
 

11歳で夢中に、16歳で本気に初めて「頑張って成し遂げた」経験でした

クライマーとしてのキャリアは、すでに15年以上にもなるそうですね。あらためてクライミングとの出会いから教えてください。

「11歳の時、家族旅行でアメリカのグアム島に行ったのですが、現地のゲームセンターで挑戦をしたのが一番最初です。日本のゲームセンターとはちょっと違ったイメージの規模が大きい体験型の施設で、そこに木の形をしたクライミングの壁があったんですね。父と妹と一緒に遊んだのが楽しくって、日本に帰ってきてからはジムに通い始めるほどハマってしまいました」

当時を振り返ると、どんな思い出がありますか?

「子供の頃は、地元の小さなコンペやユースの大会を転戦していました。大人では難しいホールドを持てたり、足が上がらないようなところへもリーチできたりと、自分なりの強みを活かせれば、身長が小さくて力のない女の子でも勝てるんだというのがわかったし、工夫することでどんどん登れるようになっていったのがすご く楽しかったのを覚えています。 関東周辺で開催されるほとんどの大会は父が連れて行ってくれましたが、クライミングを始めて1年後くらい、小学6年生の時に全日本ユース選手権で優勝してからは、ジャパンカップや日本選手権のようなメジャーな大会にも出るようになりましたね」

わずか1年ほどでユースの日本一になれたのには、何か理由があったのでしょうか?

「当時はまだクライミングはマイナースポーツだったので、本格的に取り組んでいる同年代が少なかったんです。今ではJOCジュニアオリンピックカップというユースの大会だと300人くらいの選手が参加しますが、その頃は10人もいないくらい。初優勝の時も私のカテゴリーは4、5人だけで、飛び級して上のクラスに出場することもありました。また、中学生になった時、父が家に練習用の壁を造ってくれたのは大きかったですね。環境的に恵まれていたと思います。私をプロのスポーツ選手にしたいというよりも、好きで楽しそうだからもっとできるようにって。本人もクライミングが好きでしたし、共通の趣味みたいな感じですね」

プロのクライマーとして活動していこうと決意した瞬間は?

「18歳、大学1年の時ですね。当時はプロでやっていこうと思えるほど、競技環境が整っていませんでした。プロになった先輩もほとんどいなかったし、ましてや女性なんて。なので、とりあえず大学に進学して、通学しながらワールドカップを転戦していたんです。年間ランキングは2位で、年間チャンピオンになったこともありませんでした。でも、その大学1年の年に初めてワールドカップで優勝することができて。自分に自信がついたというか、後押しされたのもあってプロを目指そうと決めました」

思い出深い大会はありますか?

「もう100戦以上ワールドカップに出ているのですが、一戦一戦違ったドラマがあって、どれも思い出深いんですよね。その中で特に印象的なものを挙げるなら……、初めて出場した国際大会、2005年の世界選手権でしょうか。2年に1回しか開催されない、ワールドカップよりも大きな大会なのですが、ボルダリングではなくリードの種目で初めて決勝に進出できて、3位に入賞して。自分の人生を変えてくれた大会だったので、今でも鮮明に覚えています。実は、その大会までは頑張って何かを成し遂げた、みたいな経験がなかったんです。トレーニングが嫌いだったというのもあり、以前は1週間に1回、2週間に1回のペースでしか練習していなかった。それでも、ずっと競技人口が少なかったので、国内大会である程度は満足のいく結果を残せていました。けれど、日本代表という立場で世界選手権に出るとなった時、それなのにビリになったらどうしよう、予選も通過できなかったら恥ずかしい、という気持ちになって。半年くらい前から本気で、必死にトレーニングに取り組みましたね。学校から帰ってトレーニング、ご飯を食べて夜中にもう一度トレ ーニング。1日に2回はクライミングと向き合う時間を作りました。その甲斐もあって大会でいい成績を収められたのがとても嬉しくて、自分もやればできる、頑張れば結果がついてくるんだ、という感覚がすごく楽しかった。入賞できたことで、もっとワールドカップに出たい、もっともっと練習したらワールドカップで優勝することもできるんじゃないか、という将来への兆しが見えた大会だったと思います」

   

メンタル次第、二つとない課題
ミリ単位で、登れたり、登れなかったり

今シーズンのボルダリング・ワールドカップでは、第3戦の中国・重慶大会で2位、第4戦のインド・ナビムンバイ大会で3位と、表彰台に上がりました。

「重慶大会は最初からいい流れで、あと一歩で優勝というところまで進めたので手ごたえがありました。その『あと一歩』の感覚をつかめたのは収穫です。ナビムンバイ大会は3位でしたが、決勝では自分しかできなかったムーブもありましたし、準決勝くらいからは体の動きがすごく良かったので、個人的には満足しています。トレーニングしてきたことを実践できた大会だったと思います」

上位で結果を残すための秘訣、大事にしていることとは?

「クライミングで重要なのは、ほんの一瞬の集中力やメンタルの強さです。自分に迷いがあったり、自信がなかったりするといい登りができないし、体の動きも悪くなってしまう。また、それまでの生活やトレーニングの内容が影響してしまうこともありますね。一瞬のチャンスをつかめるかどうかは、トレーニングの積み重ねで決まるんです。なので、普段の練習でも必死の一手、限界の一手まで追い込んでいます。練習でできないことは大会でできない。常にスイッチが入る状態にしておけるように、大会と同じ意識で練習しているつもりです。もちろんキツいですが、やればやるだけ能力って伸びるのでやりがいはありますね」

今年は9月(14日~18日)にフランス・パリ で世界選手権があります。

「最初に結果を出せた大会が世界選手権ということもあり、一番の目標ですね。私個人は最高順位がリードで3位、ボルダリングで2位。ワールドカップでは4度、年間チャンピオンになっているのですが、世界選手権はまだ優勝がなくて。自身初はもちろん、日本人としても初という世界選手権の優勝は狙っています」

海外には身長やパワーで優れる選手もいますが、野口さんの強みは?

「柔軟性ですね。特に脚部の柔らかさは、他の選手では絶対にできないようなムーブを可能にしてくれます。怪我はしたくないし、痛いところがあると思いっきり登れないので、柔軟性は損なわないようにケアをしています」

それはトレーニングで身につくものですか?

「生まれつきもありますが、やっていれば絶対に伸びる能力だと思います。私もストレッチをしないと体が固くなってしまいますからね。子供の頃からストレッチが好きだったので、ずっとルーティーンのようにやっていますよ」

最近は外岩にも積極的に挑戦していますね。

「実は、怖くて好きじゃなかったんですよ。中学生の時に父が連れて行ってくれたのですが、マットもちゃんと敷かれていないし、手も痛いし、落ちたら怪我しそうだし……。全然面白さがわかりませんでした(笑)。 でも、大人になってから興味が向いてきたんです。外岩というのは、人工壁よりも“変化” するんですよね。その日の天気とか湿度とか風向きとか、自分以外のコンディションに左右されるので、生き物みたいな感じ。自分のコンディションと岩場のコンディションがマッチしていないと登れないし、岩の粒や結晶、ひと粒の違いで持ち方や足の乗り方が変わってくる。ほんのちょっとしたミリ単位の変化や工夫で登れたり、登れなかったり、簡単に感じたり、まったくダメだったり。そういう面白さに気づきました」

昨年はアメリカのビショップに遠征されて。

「難易度V12の『Mandala(マンダラ)』という課題を登りに行きました。初めてのボルダリングのツアーで、滞在は3週間。中学生の頃から憧れていて、そのためだけにアメリカまで行ったのですが、初日からずっと2手目が取れなくて……。10手弱の課題なのですが、上の方で 落ちたら危険なほどの5~6mある大岩と対し、 2手目から先に進めないまま時間が過ぎていきました。3週間ずっとその課題をやり続けて、帰国する直前、本当に最終日の最終トライでやっとその2手目が止まって、登れて!」

3週間、最後の最後で体が適応した?

「それが結局どうして登れたのか、わからないんです。いろんなムーブをやってみたり、朝昼 夜いろんな時間帯に登ってみたり、天気とか気温とかめっちゃチェックして、いろんな人のいろんなムーブをビデオで研究もしたけれど、どれも当てはまらなくて。最終的に完登できたトライも、お昼の14時くらい、日が当たる直前で状況は良くなかった。その日も連登していたので指が裂けて血が出ちゃっていたし、疲労で体はボロボロ。あらゆるコンディションが最悪だったのですが、『登って帰りたい!』という気持ちに押されたような気もします。いずれにせよ、自分を成長させてくれた課題でしたね」

   

ボディメイク、ガガ、東京五輪。
選手として一生に一度のチャンスです

近年、日本のクライミング人口もどんどん増加しています。スポーツとしても楽しめるその魅力、野口さんはどんな点にあると思いますか?

「対人スポーツではないところでしょうか。いろんな人に教えてもらえるし、みんなで同じ課題に打ち込めるのですが、結局は自分自身との戦い。ちょっとした変化や工夫で大きく変わるので、クライマー同士、アスリート同士で、苦楽を共有できることは一つの魅力だと感じています。あとは、一つの課題にどれだけの期間をかけるかで感動も変わってきますよね。1日で登れるものもあれば、3週間、1カ月、人によっては1年や2年をかけて登る場合もある。自分が頑張って、積み重ねた分だけ努力が報われた時の感覚は、どのグレードになっても、何歳になっても、変わらないと思います」

ちなみに、クライミングはボディメイクや体型維持にも効果がありますか?

「レベルを上げていけばどうしても力は必要になりますし、難しい課題を達成したいと思えばどんどんストイックになっていくと思います。ただ、体重を支えないといけないスポーツなので重くはなれません。それに続けているうちに自然と、本当に必要なものしか残らなくなってきますね。筋肉がたくさんある人がクライミングを始めて細くなるのはよくあることです。筋トレでつけた筋肉、見た目が大きい筋肉は、クライミングには必ずしも有効に使えなかったりもする。量よりも力が大切なんですよね」

最近はメディアへの出演も増えていますが、こういった活動は楽しんでいます?

「自分が今まで経験してこなかった世界なので、単純に『こんな世界もあるんだな』と(笑)。 子供の頃からずっとクライミングをやってきたので、たまにテレビ局に行ったり、有名な方に会ったりすると、世界が広がる感覚があって楽しいですね」

クライミングのコンペ会場には、雰囲気を盛り上げる音楽が付き物です。野口さんは試合前や練習時、どんな曲を聴いているのでしょう?

「試合前は音楽でテンションを上げる時もあれば、日本人選手と話してリラックスすることもあります。ジムでは音楽をかけていますが、洋楽が多いですね。ちょっと前はレディー・ガガがすごく好きで。『Applause(アプローズ)』という曲はスペインに行っていた時にずっと聴いていたので、現地のアパートや頑張ってトライしていた課題のことを思い出しますね」

2020年五輪の追加種目として「スポーツクライミング」の採用が議論されていますが(2016年8月上旬のIOC総会で正式決定)、期待することは?

「東京オリンピックでクライミングが正式に決まってほしいという思いと、自分が選手としてその場に立ちたいという気持ちがあります。初めてスポーツクライミングがオリンピック競技となり、それが日本で開催されるというのは、私にとっても一生に一度しかないチャンスです」

最後に2016年、この先の活動と抱負を教え てください。

「今年は8月にアジア選手権(中国・都匀)とワールドカップ最終戦(ドイツ・ミュンヘン)、 それから9月に世界選手権という一番大切な大会があります。この3戦に出場して、その後リードのワールドカップにもいくつか参加したいと思っています。これまでは岩場とコンペを並行してきましたが、来年はいま一度、コンペに注力したいという気持ちがあるんです。去年の冬は割と岩場にも行っていたけれど、今年の冬は引きこもって練習、練習。そして2017年、大会をメインにしっかり頑張りたいです」

CREDITS

インタビュー・文 こばやし こうすけ / 写真 相馬ミナ / 撮影協力 Base Camp Tokyo

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PROFILE

野口啓代 (のぐち・あきよ)

1989年5月30日生まれ。小学5年生でフリークライミングに出会い、翌年の全日本ユース選手権で中高生を抑えて優勝を飾る。その後も国内外の大会で活躍し、2008年にはワールドカップ・ボルダリング種目で日本人女性初の優勝。09年、10年、14年、15年と同種目で年間総合優勝を果たした。近年は外岩での活動も積極的で、13年にスペインの「MindControl」(5.14c)、 15年にアメリカの「Mandala」( V12)を完登。

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