FEATURE 130

独占インタビュー

ヤンヤ・ガンブレット 黄金の頂から見た景色


東京五輪の女子決勝からちょうど1カ月。本命視される中で期待に応えて初代女王に輝いた22歳にインタビューを申し込んだところ、快く応じてくれた。この2年間、トレーニングだけにすべてを注ぎ込んできたという彼女に優勝に懸けた想い、強さの理由、愛するスロベニアについて聞いた。

※本記事の内容は2021年9月発行『CLIMBERS #021』掲載当時のものです。
 
 

いまだに信じられない金メダル
トレーニングにだけ集中した2年間

 
東京五輪での金メダル獲得、おめでとうございます。まずは率直な想いを聞かせてください。

「今日でちょうど五輪の決勝から1カ月が経ちましたが(このインタビューは2021年9月6日にオンラインで収録しました)、今でも優勝した瞬間を思い出すと鳥肌が止まりません。あの日のために(五輪代表に内定した2019年8月の世界選手権から)2年間かけて練習を重ねてきました。決勝はすべての種目でいい結果となりましたし、金メダルを獲得できたことはいまだに信じられないですね」

東京五輪はどのような大会として捉えていましたか?

「スポーツクライミングが採用される初めての五輪だったので初代優勝者になりたかった気持ちもありますし、私に唯一足りなかったタイトルが五輪での優勝でした。おそらくすべてのアスリートにとって、五輪という世界で一番大きな舞台に立ち、そこで競い合うことは夢だと思います。ですから五輪には100%の状態で出場したかったですし、4年に1度なので今回しかないくらいの気持ちでいました。この2年間は、トレーニング以外はほとんど何もしていませんでした」

予選を1位通過した時はどのような気持ちでしたか?

「本当にホッとしました。会場で感じたプレッシャーは、以前に感じたことのないものでしたから。もちろん世界選手権など他の大会でもプレッシャーはあるのですが、五輪でのそれは別物でした。スロベニアや世界中の方々、メディア、クライマーコミュニティ――ほぼ全員と言っても過言ではないくらい、多くの人が私の金メダルに期待してくれていたからです。また日程的に最後のほうの競技だったので、東京に3週間ほど滞在している間に他の選手がどんどんメダルを獲っていき、自分はまだ競技にも出られていないという点でもプレッシャーがかかりました。実際に競技に入ってからも、この2年間、特に力を入れて練習していた第1種目のスピードでもう少しいい結果になることを期待していたのに14位となってしまい、とてもがっかりしました。コーチにも『2年間の練習が無駄だった』と直後に言ったくらいです。だから、最終的に予選を1位通過することができて本当に安心しました」

決勝のスピードでは初戦に敗れたものの、その後2勝して5位発進でした。

「最初の対戦で(スピード専門選手の)アヌーク(・ジョベール)と当たったのでこれは勝てないと思いましたが、そこで負けたにもかかわらず最終的に5位でフィニッシュできたので、考えられる限りで最高の結果でした」

第2種目のボルダリングは第1、第2課題を完登して1位、総合順位でも首位に浮上しました。

「誰も登れていなかった第1、第2課題を完登することはできましたが、まだその時点で『金メダルを獲れるのでは?』という気持ちにはなりませんでした。スピードとボルダリングはストレスをまったく感じず集中することができていましたが、ボルダリングが終わると少しのプレッシャーを感じ始めました。3種目複合ではどんなことでも起こり得ますし、まずはリードでの登りにフォーカスしようと切り替えました」

 

ボルダリングで第1、第2課題を唯一完登。五輪の舞台でも他を圧倒した

リードに挑む際はどのような心境でしたか?

「『ここで優勝できるかもしれない』『いや、負けてしまうかもしれない』といった頭をよぎる様々な考えをすべて遮断し、会場に人がいることすら忘れるようにして、とにかく目の前のルートをできるだけ楽しもうと心がけました」

優勝がわかった瞬間はどのような気持ちでしたか?

「言葉では言い表せないくらい、いろいろな感情があふれてきました。ずっと金メダルのためにハードワークしてきたわけですから」

2位の野中生萌選手、3位の野口啓代選手との抱擁が感動的でした。どのような言葉を交わしたのですか?

「具体的にどのような話をしたかはあまり覚えていません。言葉を交わしたというレベルでもなかった気がします。彼女たちとはずっと前から良い関係で、私がシニアの国際大会に初出場した2015年以降、いろいろな大会で一緒になり、いつもお互いを励まし合いながらやってきました。そのような2人と一緒に表彰台に立つことができ、うれしい限りです」

野口選手は東京五輪を最後に競技生活から引退しました。

「アキヨは本当にすごい選手です。2005年からずっとシニアの国際大会で活躍していて、最初の大会から最後の大会まで素晴らしい結果を残していますよね。10年以上も世界のトップレベルであり続けることはあまり類を見ないですし、そういう意味でも、彼女は私にとってのロールモデルでした。このような五輪の舞台で、しかもメダルを獲得して終えるというのも美しい引退の仕方だと思います。彼女を心から尊敬していますし、一緒に大会に出られて光栄でした」

金メダルを母国に持ち帰った後は、祝福がすごかったのではないですか?

「リュブリャナ空港に到着すると、200人ほどが出迎えてくれました。地元はスロヴェニ・グラデツという小さな小さな町なんですが、広場にはおよそ5000人、おそらく町の住民よりも多いくらい(笑)の人が集まって祝福してくれました。スロベニア全体が支えてくれているような気持ちになり、本当に幸せでした」

 
 

クライミングとの出会い
才能だけでは、トップになれない

 
ここからはガンブレット選手のパーソナリティについて、まずはクライミングを始めた年齢ときっかけから教えてください。

「両親はクライミング未経験で、このようなスポーツがあることさえ家族の誰も知りませんでした。でも私は2歳頃から木やドアを登ったりしていて、生まれつき登ることが大好きだったみたいです。6、7歳くらいの時、地元で開かれたイベントに仮設壁があって、そこで初めてクライミングを体験しました。そうしたら見ていた人が『これはすごい』とびっくりして、一緒にいた父親に『クラブに入れたほうがいいのでは?』と勧めてくれて、地元のクライミングクラブに入ることになったんです」

コーチであるロマン・クライニク氏(本誌第11号にインタビュー出演)のインスタグラムを通じて練習風景を拝見していますが、今はいつも彼とトレーニングしているのですか?

「はい。首都に近いブルフニカという町にクライミングジムがあり、そこのプロクライマー向けの壁で週に6日練習しています。それとは別に週に1、2回ほどメディカルスタッフからケガ予防のトレーニングも受けています」

 

金メダル獲得後、コーチのクライニクと

SNSでは「G.O.A.T(Greatest Of All Time)=史上最高」と呼ばれるほどその強さが称えられていますが、ご自身で強さの秘訣をどう考えていますか?

「なかなかないことですし、しかも22歳でそう呼ばれて光栄に思っています。強さの秘密は自分でもよくわかりません(笑)。少しの才能は幼い頃からあったかもしれませんが、才能だけでは世界トップレベルにはなれません。おそらく私のちょっと頑固で完璧主義な性格もプラスに働いているのではと思っていますが、一番大事なのはハードワークすること、そして諦めないことです」

これだけ強いと、苦手なムーブがないのでは?と感じてしまいます(笑)。

「確かにこれが苦手だというムーブはありません。でも逆に言えば、細かい部分にいろいろと改善できるところはあって、そのディテールを日々のトレーニングで改善しています」

クライミングをする上で心がけていること、また大会で特別に意識していることはありますか?

「何よりもフォーカスすることを惜しまないこと。無駄な動きをせず、エネルギーを消費しないようにすること。また、『この次は何をしよう?』ということはあまり考えずに、その瞬間のクライミングを大切にしています。大会に出る時も、同じようにこれらのことに気をつけます。大会では毎日のトレーニングでできていることがそのまま表れるので、特別違ったことはしませんね」

 
 

母国・スロベニアの魅力
自然に恵まれた世界で一番美しい国

 
生まれ育ったスロベニアはどのような国ですか?

「世界で一番美しい国だと思っています。綺麗な自然にたくさん恵まれていて、週末は山に登りに行ったり、海に泳ぎに行くこともできます。海外に出かけることも楽しいですが、毎回スロベニアに帰ると安心します。他の国に引っ越すなんて考えられません(笑)。スロベニアには人口200万人ほどしかいないのですが、ほとんどすべてのスポーツでと言っていいくらい世界トップレベルのアスリートがいます。スロベニア人が頑固な性格だから、素晴らしい選手たちが多いんだと思います」

 

「アルプスの瞳」と称されるスロベニアのブレッド湖(Photo: slovenia.info/ Franci Ferjan)

日本にはクライミングジムが600カ所以上あり、ボルダリングが最も人気で、近年はメディアで取り上げられる機会も増えています。スロベニアでのクライミングの認知度・人気はいかがですか?

「スロベニアではまだ比較的新しいスポーツですが、人気は確実に上がっていて、五輪でメダルも獲れましたし、一つの完成したスポーツとして捉えられるようになりました。五輪前はルールや種目についていろいろと質問を受けたのですが、今ではスポーツクライミングにはどういう種目があって、どういうルールなのかということをスロベニアの全国民が理解しています。実際に私の周りにはクライミングをしてみたいという人や経験のある人がほとんどで、これからも人気は続いてくはずです。あと数年もすれば、スポーツクライミングもスロベニアのナショナルスポーツとして見られるようになるでしょうし、そう信じています」

スロベニアでオススメの岩場はありますか?

「多くの岩場がありますが、いつも海外からクライミングしに来る人には、ミシャ・ペチュ(Mišja Peč)とチュルニ・カル(Črni Kal)という岩場をオススメします。どちらも海に近い地域にあります」

五輪での金メダルという悲願を果たしましたが、今後についてはどう考えていますか?

「あまり考えていません。大学に行って卒業するのも悪くないと思っていますが、今のところ将来こういうことをしたい、挑戦したいと言うのは難しいです。でも、クライミングに関わっていくのは間違いありません。いつかはわかりませんが、アスリートとしてのキャリアが終わったら、次はコーチとして携わりたいです。私の知識を若い世代に引き継いで、彼らの夢が叶うよう貢献できたらいいですね」

ガンブレット選手にとって、クライミングの魅力とは何でしょう?

「壁にいる時に、軽く、それでいて力強い気持ちにさせてくれます。いつも同じ動きをするのではなく、そのたびに新しい課題に出会い、頭を使いながら乗り越えていくことも魅力です。陸上など他のスポーツのトレーニングは、とてもではないけど考えられません(笑)。毎回同じ動きばかりするので、私にとってはきっとつまらないでしょう」

日本にもガンブレット選手のファンは多く、このインタビューを楽しみにしています。最後に、そんな日本のみなさんへのメッセージをお願いします。

「日本にはトレーニングのためにほぼ毎年訪れていますが、人々や自然、食事もお気に入りです。大好きな日本の方々がそれだけ自分のことを応援してくれていてうれしく思います。また、このようなコロナ禍で本当に素晴らしい五輪を開催してくれた日本のみなさんに感謝したいです。Hvala!(フヴァラ=ありがとう!)」

CREDITS

インタビュー・文 編集部 / 取材協力 駐日スロヴェニア共和国大使館 / 写真 ロイター/アフロ

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PROFILE

ヤンヤ・ガンブレット ()

1999年3月12日生まれ、スロベニア出身。22歳にして「G.O.A.T.」(史上最高)と称えられる稀代のクライマー。15年のシニアデビュー以降、天性の身体能力を生かし数々の優勝を収め、19年世界選手権では前人未到の同一大会3冠(ボルダリング、リード、コンバインド)を達成。迎えた東京五輪では下馬評通りの強さで初代女王に輝いた。

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