FEATURE 99

東京五輪 代表内定インタビュー

原田海 不安からの再出発。みんなのために、登る


コンバインド種目で日本人2位の成績を残した2019年の世界選手権から、東京五輪代表内定まで1年と4カ月。不安を抱えて過ごした日々を経て、21歳のクライマーは思いを新たにオリンピックの舞台に臨む。

※本記事の内容は2021年1月発行『KAI HARADA SPECIAL ISSUE edited by CLIMBERS』掲載当時のものです(インタビュー収録日:2020年12月22日)。
 
 

長かった代表内定までの道のり
何のためにクライミングしているのか

東京五輪代表の正式内定、おめでとうございます。まずは今の心境から教えてください。

「ありがとうございます。決まったことよりも、結果が出たことにすごくホッとしています。正式内定から10日ほどが経った今は、お祝いのメッセージなども落ち着いて、『頑張ろう』と気持ちを切り替え始めたくらいです」

決定直後にはご自身のインスタグラムに、代表権を争った選手を気遣うようなコメントも投稿されていました。彼らとは何か言葉を交わしましたか?

「(藤井)快さんからは連絡が来て、『おめでとう』『頑張って』と言っていただきました。『快さんたちの分まで頑張ります』と返信しました」

五輪代表選考に関しては、JMSCA(日本山岳・スポーツクライミング協会)とIFSC(国際スポーツクライミング連盟)で意見の対立がありました。当事者として今回の件を振り返ると?

「僕ら選手にはあまりにも情報が少なく、まず何で争っているのかも詳しくは説明されていない状況でした。『裁判中だから詳細は伝えられない』ということすら言われていなくて。どうして教えてくれないかもわからなかったので、それは教えてほしいと思いましたね」

内定までの約1年、どのような気持ちで過ごしていましたか?

「目標が定まらないことに対するモヤモヤした気持ちがあって、かつコロナ禍で練習もうまくできない状況で、ストレスは多かったです」

インスタグラムの投稿には、五輪に向けて「今はまだ不安が多く、自信がない」という言葉もありました。原田選手にしては珍しく弱気な印象を受けましたが、その感情について詳しく聞かせてもらえますか?

「ここ最近、クライミングから一度離れていたんです。クライミングがあまり楽しくないというか、『何のためにクライミングやっているんだろう?』という気持ちになってしまって。今までに感じたことのないようなメンタルの下がり具合で、急いで母に『どうすればいいかわからん』って電話をしたら、『帰っておいで』と言われて、いったん実家に帰省しました」

それほどのストレスを感じていたのですね。

「これまではW杯のシーズンなどで忙しくて、ほとんど自宅にいない期間もあったし、みんなと過ごす時間のほうが多かったので、あまり苦には思わなかったんですけど、今年はずっと一人で家にいる時間が続きました。そうすると色々と考え込んで、必要以上に悩んでしまったり。それも原因なのかなと思います」

帰省中にお母様からはどのような言葉をかけられましたか?

「『周りのことは気にせずに、自分の好きなことをやってくれたほうが私も嬉しい』って言われて。それが一番心に響きました」

実家に帰ってリフレッシュして、CAS(スポーツ仲裁裁判所)の裁定も下り、少しトンネルの出口が見えてきた感覚はありますか?

「そうですね。今は悩みは薄れて、普通に『クライミングがしたい』って思います」

 

内定が決まり、あらためてお母様から何か言葉はありましたか?

「そんなのどうでもいいから、とりあえず自分の好きなことをやれ、と。代表内定を喜んではくれていたんですけど、決まったと伝えた瞬間はそういう言葉が返ってきました」

五輪代表内定に関して、W杯を共に戦う日本代表選手たちからの連絡は?

「みんなからメッセージが来ました。どひけー(土肥圭太)とか、(杉本)怜さんとか。『とりあえず結果が出てよかったね』『まだ時間もあるし、ゆっくり頑張って』と言われました。(同じく五輪代表に内定した野中)生萌さんとも、裁判の結果が出た後すぐに『決まったね』とLINEでやりとりしました」

 
 

コロナ禍の2020年を振り返って
YouTubeはこれからも続けたいです

新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年は大会の延期・中止が続く異例のシーズンとなりました。その中で感じたことはありますか?

「これまでの競技人生で一番苦しかったです。大会は結果を出すためではなくて、出場すること自体が楽しかったんだと強く感じました」

自粛期間中はどんな生活を? 普段やらないことをやってみたりはしましたか?

「家にずっといること自体が普段と違うことだったので、意識して何かをするっていうのはあまりなかったですね」

では趣味であるゲームの量が増えたり?

「そうですね。どひけーや(楢崎)明智と、オンラインでシューティングゲームをしたり」

誰がうまいんですか?

「明智はうまいですね。あいつはゲーマーなので(笑)。あとは同じ大阪出身の井上祐二君とは、ほぼ毎日電話で話したりしていました」

2020年3月にはYouTubeチャンネルを開設されました。これまでに様々な動画を投稿していますが、半年以上やってみての感想は?

「大変な部分もありますけど、楽しみに観てくれる方もいるので、これからも続けていきたいです」

印象的な企画はありますか?

「クライミング系の動画のほうが再生回数は多いんですけど、料理系の動画だったり、プライベートな部分を観たいという方がけっこういて、ちょっと意外でした」

動画を撮影して提供するというのは初めての試みだったと思いますが、それによって新しい発見はありましたか?

「単純にYouTuberのすごさを感じました(笑)。特に一人で撮影から編集作業までやっている方。僕の場合はカメラマンに聞かれて答える形の動画が多いのですが、カメラに向かって一人で流暢にしゃべって、それでいて面白いのはすごいなって。企画出しも難しいですね。人気のYouTuberって毎日動画を上げていますけど、僕はネタがなくなってしまいます」

 
 

変化した五輪への想い
落選した選手、応援してくれる人がいる

過去の五輪で印象に残っているシーンはありますか?

「陸上男子の100m決勝はよく見ていましたね。ウサイン・ボルトの走りとか。体操男子の団体や個人総合で日本が金メダルを取ったシーンも印象的でした。日本のメダル獲得数は大会ごとに増えてきていますよね。日本人として素直に嬉しく思います」

そんな五輪にご自身が出場することになりますが、原田選手にとってはどのような位置づけの大会でしょうか?

「まだそれほど実感があるわけではなく、本当にテレビの中の世界みたいな感じです。ただ以前は通過点というか、しっかりと見定めている大会ではないというふうに言っていたと思いますが、その気持ちは変わってきました。僕に決まったことによって出られなくなった選手もいますし、代表内定を喜んでくれる人がたくさんいた。そこが一番大きいですね。確かに競技人生のゴールではないですけど、しっかりと調子を合わせて、最高のパフォーマンスを出せるようにしたいと考えるようになりました」

具体的な目標はありますか?

「メダルはあまり考えていません。今までで自分が一番強い状態で臨みたいです」

 

2020年3月に行ったCLIMBERS第15号のインタビューでは、東京五輪に出場するとしたらコンバインド3種目のうち、ボルダリングとリードで1位を取りたいと話されていました。

「それは変わらないです。でも、あの時ほどの自信はないんです。今の自分の調子からして、不安な要素のほうが多いので」

それはクライミングから離れた期間もあり、練習量が十分ではないから?

「それもありますし、単純に調子があまり良くないんです。今のままでは無理だと思いますが、でも目標はそこ(東京五輪)にあります」

今後のトレーニングでは、3種目の中でどれにより注力していきたいですか?

「ボルダリングとリードですね。特にリードは前シーズンに比べて力や調子が落ちているので上げていきたいです。登っていない期間があると、持久力の差は全く違ってきます」

ボルダリングは用意される課題との相性があり、博打的な要素もありますよね。

「しかも『力を入れている時間』がリードに比べて圧倒的に少ないため何とか乗り切れる場合もあるんですけど、リードは本当に体力が重要なので、その違いはすごくありますね」

東京五輪は酷暑が予想されますが、暑さは得意ですか? 苦手ですか?

「寒いよりは全然、暑いほうがいいです」

ホールドの持ち感も変わってくると思いますが、そのあたりも問題ない?

「これまでに(酷暑の中で行われた)中国での大会や、カタール・ドーハでのワールドビーチゲームズも経験しているので、大丈夫かなって。寒いのは体が動かなくなるから苦手です」

 
 

2021年は気合と根性!
人が喜んでくれるほうが僕は頑張れる

同じ日本男子の五輪代表には楢崎智亜選手がいます。スピード種目でも世界トップクラスに近づく5秒台を日本人で初めてマークするなど、金メダルの有力候補と言われていますが、原田選手から見た楢崎選手はどんな選手ですか?

「一言で言うと『本当にすごい選手』ですよね。何でもできるオールラウンダーですし、誰に聞いても『一番強いのは楢崎智亜選手』という声が多いと思うので、純粋に尊敬しています」

代表活動などで会話する機会も多いと思いますが、どんな性格ですか?

「けっこうぶっ飛んでるので(笑)、天才というか、そういうふうに見られることもあると思うんですけど、実際は頭が良くて色々なことを考えている。言葉一つ一つも深いというか」

印象に残っている言葉はありますか?

「……って言うほどそんなに深い話はしないんですよね(笑)。ゲームの話が多いかもしれないです(笑)。この前も智亜くんと(弟の)明智と僕の3人でゲームしましたし」

他国の五輪内定選手もほぼ出そろっています。ライバルになりそうな選手はいますか?

「やっぱりヤコブ・シューベルト(オーストリア)、アレクサンダー・メゴス(ドイツ)、アダム・オンドラ(チェコ)あたりは安定して強いなと思います」

3人はリードで特に強さを発揮しますが、彼らに勝つためにもリードの力を上げたいと。

「リードの大会ではずっと3人で表彰台を争っているような状況なので、そこに食い込みたいですね」

 

五輪出場経験のある柔道の大野将平選手や飛び込みの寺内健選手などと親交があるそうですが、彼らと五輪について話をしたことは?

「ありますね。大野さんは『あまり変わらないよ』みたいな感じで言っていました。あの人は相当メンタルが強いので。(過去5大会出場の)寺内さんもオリンピックに慣れすぎていて(笑)。そこまで深く聞いてはいませんが、でもやっぱり他の大会とは違う、オリンピックならではの部分がある、と言っていました」

2024年のパリ五輪でもスポーツクライミングは追加競技に選ばれました。これについては?

「それだけクライミングの認知度が上がってきていて、面白さも認められたからこそ続けて採用されたと思うので、そこは嬉しいです」

所属先の日新火災をはじめ、様々な企業からサポートを受けられています。プロのアスリートとして周囲からの期待も高まってきていると思いますが、プレッシャーはありませんか?

「いつもは感じないんですけど、最近は感じています。でもそれは自信がないからこそ感じるプレッシャーだと思うので、しっかり自信を取り戻していけば気にならないと思います」

やはりトレーニングを重ねていくことで自信を取り戻す?

「練習していくしかないですね。2021年の言葉はもう決めてるんですよ。『気合と根性』です。2020年はそれが足りていなかった。“効率”を求めて『今日は疲れてるからちょっと休むか』といったことがずっと続いて、結果的に調子が落ちてしまった部分もあります。昔はもっと、『世界一登ったやつが世界一強い』と思っていたので、そういうのが大事だなって。2021年はそんな年にしようと思います」

最後に、東京五輪への意気込みを教えてください。

「このような代表内定の決まり方になったこともあり、他の選手たちにちゃんと顔見せできるように、自分のベストの状態で臨みたいです。今回の内定で、周りで支えてくれている人たちがすごく喜んでくれたことが、元気になれるきっかけになりました。周囲の方々が喜んでくれるほうが僕は頑張れるって気づけたんです。そういうモチベーションを保ちながら、オリンピックに臨みたいです」

CREDITS

取材・文 編集部 / 写真 窪田亮 / 撮影協力 B-PUMP 荻窪店

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PROFILE

原田海 (はらだ・かい)

1999年3月10日生まれ、大阪府岸和田市出身。10歳でクライミングを始め、2015年、16年に全日本クライミングユース選手権ボルダリング競技大会を連覇。18年には世界選手権に初出場し、シニア大会初タイトルをボルダリング優勝で飾った。1年以上に及んだ代表選考問題を経て、2020年12月に五輪代表内定を果たす。座右の銘は「克己心」。“自分に打ち克つ”ことを信条とし、他人に流されず、自分の感覚と物差しを信じて進む。

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